「鬼滅の刃」は教育論としても非常に優れた作品です。
「鬼滅の刃」の中で最も重要なキャラクターは、主人公・竈門炭治郎の師匠である鱗滝左近次です。
鬼にされた妹を救うために炭治郎は育手(そだて)である鱗滝左近次に教えを乞います。
炭治郎は鱗滝の下で、たくさんの罠がしかけられた山下りの修業や、受け身の修業、素振り、呼吸法の訓練など様々な訓練を受けました。
鱗滝の下で厳しい修行に1年間耐えた頃のことです。
「もう教えることはない。あとはお前次第だ。お前がわしの教えたことを昇華できるかどうか。この岩を切れたら最終選別に行くのを許可する」
鱗滝はその日を境に本当に何も教えてくれなくなりました。

従来の少年漫画とは違う全く新しい部分がここです。
「師匠の厳しい修行に耐えて強くなる」というのが従来型の少年漫画でした。
「鬼滅の刃」が新しいのは、厳しい修行の後からスタートする孤独な戦いをしっかり描いていることなのです。
炭治郎は、どうやったら岩を斬ることができるか、自分で考えるしかありません。
炭治郎は、これまでに自分が教わったことをひたすら毎日続けました。
日記に書いたことを何度も読み返し、基礎的な鍛錬を何度も、何度も、何度も繰り返します。
しかし、半年経っても岩は切れません。
「足りない。まだ鍛錬が足りないんだ。もっとやらないと・・・」
来る日も来る日も鍛錬を繰り返すのに、切れる見通しが立たない岩。
「俺、ダメなのかな?禰豆子はあのまま死ぬのか。くじけそう。負けそう。頑張れ俺。頑張れ。」
必死に自分を励ましながら鍛錬に励んでいると、錆兎(さびと)という少年が現れます。
「お前は何も身につけていない。何も自分のものにしていない。お前は知識としてはわかっているかもしれないが、お前の身体は何もわかっていない。お前の血肉に叩き込め。もっと、もっと、もっと!!骨の髄まで叩き込むんだ!」
また、真菰(まこも)という少女が現れて炭治郎を励まします。
でも、2人とも何ら具体的な方法を教えてくれるわけではありません。
真菰から言われたのも、「死ぬほど鍛える。結局それ以外にできることはないと思うよ」という言葉でした。
さらに半年。
炭治郎は腕や足がちぎれそうなほど刀を振り、肺や心臓が破れそうなほど刀を振り続けます。
そして、鱗滝のあの言葉から1年後、ついに岩を斬ることに成功するのです。
このシーンは、炭治郎の潜在的な力が覚醒するシーンであり、その後の成長を見ていく上でも非常に重要です。
何かを教わったらその場で形になるということはなく、教わることはスタート地点で、そこから自分で必死に考えて鍛錬を繰り返し、初めて教えられたことを昇華することができます。
自分と向き合い、孤独な戦いを勝ち抜いて答えを出すことがどれほど苦しいか。
でも、誰も教えてくれない中、自分と向き合って試行錯誤しながら必死に努力をすることが最も成長を促すということを、このシーンは教えてくれます。
面談をする中で、週当たりの塾に行く回数が多い人には、自分で勉強する時間がどれだけ確保できるかが最も大切だから、くれぐれも消化不良にならないように…という話をしています。
塾に行って逆に成績が下がってしまう生徒がいるのは、塾の勉強も学校の勉強も中途半端になってしまうからです。
勉強に限らず、力をつけるために最も大切なのは一人で孤独に努力する時間です。
教わることだけで満足してしまっていては、力がつくことは永久にありません。
自分と向き合って努力する時間を大切にしてください。
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