「既知」から「未知」

知識はすでに知っているものとの結びつきによって整理され、体系化されていきます。

ですので、知識がある人はますます知識が増えていき、知識がない人は結びつけられるものが何もないまま流れていくということになります。

つまり、「既知」が「未知」につながる手がかりとなる、ということです。

たとえば、identityという言葉を例に考えてみます。

identityは、「自我同一性」、「自己の存在を証明するもの」というように日本語に訳すことができます。

そこで、IDカード(Identity card)が自分の身分を証明するもの(学生証)であることや、UFO(Unidentified Flying Object)が未確認飛行物体(つまり、まだ存在が証明されていない飛んでいる物体)であることをすでに知っていれば、identityという言葉の意味をより深く理解して、すでに知っている知識との関連性の中で体系化することができます。

基本的に中学や高校で学習することは「既知」から「未知」の順番で体系化されています。

「すでに知っていること」をもとにして、「新しいこと」を知るという流れです。

こうした順番になっているのは、「すでに知っていることから物事をより深く理解することによって、知識を体系化する」ということが道理にかなっているからです。

数学や理科などが最もわかりやすいですが、中学や高校のカリキュラムは「既知」をすでに前提として組まれているため、「既知」があやふやな状態だと、新しい知識を身につけることができなくなってしまいます。

ですから、前提となる知識があやふやな場合には、基礎にまで立ち返ってから、新しい単元の勉強をしていく必要があります。

数学や理科がその傾向が顕著であるように思われがちですが、どの科目であったとしても、原理は同じです。

英語や現代文は読解力が大切なので知識は必要ない、と考えられがちですが、実は予備知識があるかどうかで、読解できる内容にかなり差がついています。

たとえば、「民主主義」をテーマにした文章の場合、世界史や政治経済などで勉強する民主主義の歴史や原理が理解できていないと、全然理解ができないのです。

また、現在世の中で起こっていることが、学習する内容と結びつけて理解できるかどうか、ということも大切です。

現実の世界とリンクする部分がたくさん見えてくると、勉強が楽しくなってきます。

逆に、世の中で起こっていることに無関心で「勉強」と「現実の世界」のリンクがないと、それだけ理解度や知識の定着度は落ちてしまいます。

思考や理解は、知識をベースにして行われるということがわかれば、かつての「ゆとり教育」が失敗に終わった理由がわかります。

「ゆとり教育」は知識偏重を改める教育として脚光をあびましたが、その結果は目を覆うほどの深刻な学力の低下でした。

知識を重視する教育への転換が図られたことによって、PISAなどの学力調査などの結果も驚異的に回復しました。

ところが、近年再び「思考力」を重視するという名目の下で、「知識偏重」を批判する動きが起こっており、こうした流れの中で入試制度も大きく変わろうとしています。

こうした考え方の下で入試制度を変えたとしても、確実に失敗することは目に見えていると言えるでしょう。

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