「何になりたいか」より「どうありたいか」のほうが大事

世の中「キャリア教育」というのが流行っているようです。

このキャリア教育というのは、「将来何になりたのか」というのが最も重視されるようで、「何になりたいのか」ということを書かされます。

具体的な職業を書くことを要求されるわけです。

そして、その職業に就くために、何が必要なのかというのを考えるのが、一般的なキャリア教育です。

でも、それって本当に必要なのでしょうか。

実際には「何になりたいのか」よりも「どうありたいのか」のほうが生きていく上で大事です。

受験勉強をしていると「なぜ自分はこんなに勉強しているのだろう」ということを考えさせられます。

現在の勉強が、将来特定の職業に就くことを実現するためだけの勉強だったらとても残念なことです。

「なぜ勉強をするの?」と、古代のギリシアの哲学者たちに質問をしたら、「人格を磨くためである」と答えるでしょう。

古代のギリシアの哲学者たちは「人間はどう生きるべきか」、「人間としてどうあるべきか」ということを考え続けました。

その代表格であるソクラテスは、より善く生きるためには、徳(アレテー)を身につけることであると述べています。

ソクラテスは、「魂の配慮」という言葉を使い、みずからの魂に徳が備わるように常に気づかうことが大切であると述べています。

徳を身につけるための方法が、知徳合一です。

知徳合一というのは、知ることと徳を積むことは同じことであるという意味です。

つまり、知れば知るほど、人格が優れたものになっていくということです。

政治家が、差別についての発言などで失言をして、バッシングを受けることがあります。

我々が政治家の失言に敏感なのは、政治家はだれよりも人徳が求められる仕事だからです。

差別には歴史的な背景を含むものも多くあります。

こうした背景をきちんと認識できていないと、政治家としての人間性が疑われることになります。

つまり、知らないこと=徳がないことであるという認識です。

新しいことを知れば知るほど、謙虚になっていきます。

映画『宮本武蔵』の中で、暴れん坊の武蔵が、お城の開かずの間に閉じ込められるシーンがあります。

閉じ込められた武蔵は、最初部屋の中で暴れまわるのですが、いくら暴れても部屋から出られそうにないため、やがて暴れまわるのをやめました。

部屋の隅には本が置いてありました。

退屈で仕方がなかった武蔵は、その本を寝そべったままで読み始めます。

部屋の隅に置いてある本は、少しずつ増えていきます。

武蔵を閉じ込めた沢庵和尚が、食事と一緒に放り込んでいくのです。

最初は寝そべったままで本を読んでいた武蔵ですが、読んだ本の数が増えるにつれて、どんどん姿勢が良くなってくるのです。

数年後、武蔵は開かずの間を出されます。

「どうだ、何かわかったか?」と沢庵和尚が、武蔵に尋ねます。

すると、まるで別人になった武蔵がこう答えます。

「世界は広いことがわかりました」

武蔵は開かずの間で、本と向き合うことで「自分の無知」を悟ります。

これをきっかけとして、武蔵は「単なる暴れん坊」から、「本当の剣豪」へと変貌を遂げていくのです。

勉強をすることの目的は、謙虚になることです。

自分が何も知らないのだということを知ることです。

ソクラテスは、「無知の知」を自覚することが真の知を得る出発点になると言いました。

知れば知るほど、謙虚になり、正しい生き方を追い求めることができるようになるのだと思います。

現在の勉強を特定の職業に就くことを実現するための手段として考えるのではなく、「自分が社会の中でどうあるべきなのか」ということを考えるきっかけにしていってほしいものです。

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