入試問題の現代文や英語長文を解くことで、たくさんの文章に触れますが、今はなるべく精読して、内容をきちんと理解することを必ずやりましょう。
入試問題で出会った文章は、そのときは「つまらない文章だ」と思っていても、後になって奥が深い内容であったことに気がつくことがあります。
良質な文章にたくさん出会い、それによって考え方や生き方が変わる経験をどれだけ積み重ねていけるかが大事です。
駿台予備校の人気の現代文講師である霜栄(しもさかえ)先生は、文章を読むことの意義を以下のように書いています。
“文字を読むとは今ここを抜けだすこと。
見たことのない場所へ、過ぎ去ってしまった過去へ、思考の極北へ、想像の果てへ、感情の未知へ、読むことは僕らを自己の存在、経験、能力、感覚の、その限界の一歩先にまで届けてくれる。
たぶん何かを読むことは、それまで生きてきた世界を押し広げ、深める可能性をもっている。
文字はそれを書きつけた人間よりもはるかに遠くに行き、そして繁殖し、生きつづける。
僕らの読む多くの文字は実際にそのようにして存在している。
そう考えてみると、僕らが文字を使って何かを伝えているのか、それともたくさんの文字が僕らを使って新たな文字を生ませ何かを伝えているのか。
いったい本当はどっちなのか、よくわからないような気がしてくる。
ちょうどDNAが、僕らのこのカラダに何十億年も前からの遺伝子情報をえんえんと伝えてきていることを考えるときに似て、文字はまるでDNAのように文化を伝えている。
そうやって今まで読んできた文章が頭の中で組み合わされて、新たな文章が生み出されていく。固有性とはつまり、常に無限へと開かれたかけ合わせである。
僕らの読んだ文章と、そのまた文章を書いた人間が読んだ文章が僕らの文章のつくりを左右する。
あなたの文章の中にも漱石や芭蕉や兼好法師や紫式部や万葉集や日本書紀の文字が知らないうちに運ばれてきている。
文章を読むとは新たな文化の遺伝子を自分の中に取り込むことで、一人ひとりの人間を通して文化は運ばれ変質し生み出されていく。
人間とはまるで一枚の、一個のフィルターみたい。
そう感じるほど、たしかに個人の一生は文字の歴史に比べて薄くて短い。
けれど文字によって個人はすべての個人とつながる可能性をもっている。
ちょうどDNA(デオキシリボ核酸)の塩基(アデニン・グアニン・シトシン・チミン)によって人間のカラダがすべての生物のカラダとつながっていることに似ている。
考えてみれば文字配列の違いだけが文章の文体(という固有性)を生むように、塩基配列の違いだけが生物の種(という固有性)を生み出している。”
文字は文化のDNAということが言いたいのだと思います。
受験期に出会った文章は一生ものです。
先人たちの書いたものから多くのことを継承し、さらに昇華できるようであってほしいと考えています。