大学受験で最も大切な教科は英語です。
では、なぜ英語が最も重視されるのでしょうか。
それは、大学で専攻する学問の成り立ちと大きく関わっています。
disciplineという英単語を知っていますか?
disciplineは受験生必須の英単語ですが、「訓練」という意味で多くの受験生が覚えているはずです。
disciplineの根本的な意味は、「固有の原理原則」、「基本的な原理」という意味です。
だから、特定の原理に従って行われること、という意味で「訓練」です。
また、特定の原理が通用する固有の分野という意味で、「専門分野」という意味もあります。
大学で勉強する様々な学問の専門分野、たとえば物理学や生物学、化学、文学、経済学、政治学、社会学、医学などが「ディシプリン」 (discipline)です。
予備校講師の横山雅彦氏は、大学受験で英語を勉強することが、この「ディシプリン」と関係していると説明しています。
“明治の初めに、西洋諸国で学んだ日本の留学生は、西洋の学問が細かい専門分野に分かれているのを知って、大変驚いたそうです。
当時、日本では、中国から入ってきた「漢学」と、 日本について全体的に学ぶ「国学」が、学問の主流でした
もちろん、オランダから入ってきた「蘭学」もありましたが、もっぱら医学の分野に限られていました。
日本には、学問を専門分野に分けて学ぶという考えがなかったのです。
ディプリンの考え方が日本に入ってきて、まだわずか百数十年。
この異文化体験の衝撃は、今も続いています。
世界史における「現代」は、アメリカ独立をもって始まります。
近代を純粋培養した時代が現代であり、 西洋を純粋体現した国がアメリカです。
ですから、必然的に、さまざまなディシプリンの最先端の知見は、 アメリカですなわち英語で発表されています。
つまり、今のところ、英語を使わずにできる 学問は存在しないのです。
たとえば、「私は日本文学を学ぶのだから英語は必要ない」と思うかもしれません。
でも、それは間違いです。
どのディシプリンであれ、最新の研究は、英語で書かれ、英語で読まれています。
そもそも「文学」という言葉自体、 literatureの訳語として明治期に生まれた新造漢語です。
「日本文学研究」は、文学のディシプリンをたまたま日本にあてはめるだけのものであって、『源氏物語』に関する最新の研究は、英語で書かれ、英語で読まれています。
中国史学、エジプト考古学、アフリカ音楽、 日本の新宗教研究……すべてにおいてそうです。
だからこそ、すべての大学、すべての学部の入試において、英語が出題されるのです。
大学入試とは、大学で学問する準備ができたかどうかを、大学がそれぞれの仕方で試そうとするものです。
そこで出される問題は、すべて「この程度のことを知っていなければ、ウチでは学問できませんよ。この程度がこなせなければ、ウチの授業にはついていけませんよ」という大学側の意思表示なのです。“
横山雅彦著 完全独学「無敵の英語勉強法」(ちくまプリマー新書)
もちろん、英語に限らず、今勉強しているすべての科目が大学で学問する準備ができているかどうか、ということを試そうとしているものです。
ですので、どうか英語を英語、現代文を現代文、 小論文を小論文、理科社会を理科社会と別々にとらえるのではなく、「受験勉強」 =「学問の準備」という 「ひとつの科目」として、有機的につなげて見る目を持ってほしいと思います。