わからないことを抱え込めるか

うちの奥さんは公文の教室をやっていて、家でも子どもが公文をやっているので、毎晩一緒に付き合って問題を解くのを見ています。

算数を解くのを見ていて感じることは、解けるようになっていく過程は、小学校くらいでやる簡単な単元であっても、中学・高校でやるような単元であっても、そうは変わらないということです。

毎日続けてやっていて感じることは、新しい単元に入ると必ずスランプが訪れて、全然問題が解けなくなってしまう時期があるということです。

今まで解けていた当たり前の計算がなぜか突然できなくなってしまうのです。

ただ、根気強く前のところを復習しながらやっていくと、ある日突然、すごいスピードで問題が解けるようになります。

分数の四則混合をやっていたとき、足し算・引き算・掛け算・割り算が混ざると途端に難しくなるようで、見ていると何度も同じところで間違えていました。

でも、当たり前のようにできていた九九が、あるとき突然全然できなくなって、また九九の単元に戻って復習をしたり、というようなことを繰り返しているうちに、最近突然、四則混合の計算ができるようになってきました。

大切なのは、全然できなくなってしまったときに根気強く前に進むための努力ができるかどうかなのだと思います。

一度、「まったくわからなくなってしまうという状況を通過して、できるようになっていくものだ」というのがわかっていると、「わからないこと」を抱え込むことができるようになっていきます。

「わからないこと」と出会ったときに放棄してしまうか、それを抱え込んで時間をかけて解決していけるかということは大きな違いです。

今はそれを早回しでやっている感じなので強く感じるのですが、中学の勉強であっても、高校の勉強であっても本質は全く同じであるように感じます。

英語は音読が大切であることも同じです。公文の英語は単元ごとに音読する場所があって、ストップウォッチで計って何度も音読をしています。

慣れないうちは、読めない単語のところで何度も詰まってしまい、タイムが出ないのですが、慣れてくるとスラスラ読めるようになり、内容も理解できるようになってきます。

目標タイムが切れるくらいの速さで読めるようになってくると、その単元の文法事項や単語が自然と頭の中に入ってくるようになります。

「習うより慣れろ」というのは良く言ったもので、難しい英文であっても、簡単な英文であっても英語の勉強の仕方は変わらないのだということを実感しています。

国語も一緒にやっているのですが、国語ができるようになるポイントは全部本文に答えが必ず書いてあるということを確信しているかどうか、ということです。

やるべきことは本文の中から答えをどのように探してくるのかということがすべてです。

だから、国語の勉強は「ウォーリーを探せだよ」ということを言っています。

本文のどこかしらに解答の根拠となるウォーリーが隠れているのです。

「絶対にウォーリーがどこかに隠れているはずだ」ということがわかっていると、どんなに時間がかかっても根気強く答えを探してくることができます。

また、英語にも、国語にも言えるのが、最初は何を言っているのか全然わからない文章であったとしても、根気強く何度も読み続けることで、だんだん何が言いたいのかということがわかるようになっていきます。

勉強で大切なのは、頭の良さではなく、根気です。

「わからないこと」を楽しみながら、根気強く謎を解いていくような姿勢で勉強をすることが大切です。

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