元気がないならドラゴン桜!!

勉強のモチベーションがなかなかわかないときに、もっとも良いのが「ドラゴン桜」です。

原作マンガは1作目(2003~2007年)の方が2作目(2018~2021年)よりも良く出来ているのに対し、ドラマは2作目(2021年版)の方が、1作目(2005年版)よりも良く出来ています。

特に、ドラマの2作目(2021年版)のディレクターの福澤克雄の演出が素晴らしいです。(有料になってしまいますが、ディズニーチャンネルなどで見られます)

なかなかやる気が起きないときに、休憩時間に1話ずつ見ると元気をもらえます。

今回、ドラマの2005年版と2021年版の重要シーンを比較してみました。

学校再生を託された桜木健二が全校集会で生徒に激を飛ばすシーンを比較すると、おもしろいことがわかります。

まずは2005年版から。

「どいつもこいつもバカヅラばっか … お前ら 一生負け続けるな。」

(「なんだと!誰がバカヅラだ、おりてこい、ぶっ殺してやる … 。」と騒然とする生徒たち)

「負けるって言ったのはだまされるって意味だ!

お前らこのままだと一生だまされ続けるぞ!

いいかお前ら … 。社会にはルールがある。その上で生きてかなきゃならない。

だがな … 社会のルールってやつはすべて頭のいいやつが作っている。

それはつまりどういうことか …。

そのルールは頭のいいやつに都合のいいように作られてるんだ。

逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。

それでも頭を働かせるやつはそこを見抜いてルールを上手に利用する。

たとえば、携帯電話、給与システム、年金、税金、保険 …。

みんな頭のいいやつがわざとわかりにくくして、ロクに調べもしないやつから多く取ろうという仕組みにしている。

つまり、お前らみたいに頭使わずに面倒くさがってると …

一生だまされて高い金払わされるんだ。

いいか!賢いやつはだまされずに得して勝つ。

バカはだまされて損して負ける。

だまされたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら … 勉強しろ!!」

次に2021年版です。

「しらけたツラしてんなぁ。今のバカは馬鹿ヅラもできないのか。

いいかお前ら、東大になんか絶対に行くな。」

(騒然とする教員、生徒たち)

「東大になんか行かなくていい。その価値など無いと言っているんだ。

東大合格テクニックはある。

それに則って勉強すればお前らのうちの何人かは東大に入ることができるだろう。

だがお前らにその価値があるとは思えない。

見るからに愚図でのろま。

勉強も学校生活もみんな中途半端。

一日中やれスマホだゲームだ、毎日なんとなくボケーっとした日々を送ってやがる。

バカばっかりだ。

バカなだけならまだいい。

無関心、無気力、甘ったれ、根性なし。

そんなお前らがこのまま何となく世の中に出てみろ。

あっという間に薄汚い社会の渦に飲み込まれ、知らず知らずに搾取され、騙され、カモにされ、こき使われる。

一生社会の奴隷となって、もがき続け死んで行くんだ。

そうならないために一番手っ取り早い方法がある。

東大に入ることだ。

だがお前らにその価値があるとは思えない。

人間気取ってるくせに、自分の頭で考えようとしないお前らなど、東大の方からお断りだ!

2021年版の方は「自分で自分のことを変えようと思わないようなヤツは東大なんて目指さなくてよい」ということなので、きわめて反語的です。

ただ、言っていることの本質は全く変わっていないのです。

どちらも「自分の頭で考えること」の大切さを説いていることがわかります。

時代が変わったとしても、社会を生きていく上で大切な力は変わっていないということなのでしょう。

勉強することの意味は、「身の回りの出来事が、自分に何を教えてくれるために起こっているのかを自分の頭で考える力」を身につけるためです。

このような姿勢がある人は自ら成長し、どんなに厳しい社会情勢の中でも生き抜いていくことができますが、自分の頭で考えることを面倒くさがって、ただ何となく生きているとあっという間に搾取される側に回ります。

「なんとなくみんなが勉強しているから勉強する」のではなく、「自らの頭で考え、自らを変えるために勉強する」という姿勢を身につけていきましょう。

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