孤独と絶望との戦い

ジャン・ジオノ『木を植えた男』

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ジャン・ジオノ『木を植えた男』

自分が中学生のときに、国語の教科書に載っていた作品です。

授業では扱わなかったのですが、とても勇気づけられる作品でした。

この物語は、原作者であるジャン・ジオノが実際に体験したことをつづるかたちで展開します。

1913年のこと、フランスのプロヴァンス地方の山深い地域を訪れたジャン・ジオノは、その荒れはてた地で一人の男に出会います。

羊飼いの男でした。

羊飼いの男はとても無口でしたが、温厚な態度で、住む家も整然としており、突然の来訪者であるジャン・ジオノを快くもてなしてくれました。

羊飼いの男の名前はエルゼアール・ブフィエです。

ジャン・ジオノの前でブフィエは何やら丹念にどんぐりをより分け、完全な形をした100粒のどんぐりを選びます。

そして翌日、ブフィエはその100粒のどんぐりを袋に入れ、ちょっとバケツの水に浸して羊を追い立てますが、その手に持っていたのは本来、羊飼いが手にする木のつえではなく、長さ1メートル半ほどの鉄の棒でした。

ジャン・ジオノは気になって散歩をするふりをしてブフィエの後をついていきます。

するとブフィエは持っていた鉄の棒を地面に突き立て、できた穴の中に丹念により分けたどんぐりを1つ1つ埋め込んで、丁寧に土をかぶせました。

彼はカシワの木を植えていたのでした。

その様子を見ていたジャン・ジオノがいろいろと質問すると、ブフィエは3年前からこの荒れ地に木を植え続けているとのことでした。

彼によると10万個の種を植え、そのうち2万個が芽を出したが、さらにそのうち半分くらいがダメになってしまうと見込んでいるとのことでした。

ブフィエは当時、55歳でかつては農場を持ち、家族と暮らしていたのですが、息子を亡くし、ついで妻をも亡くしてしまい、世間から離れ、こうして不毛の地に生命の種を植えつけることに自分の役割を見出したのです。

翌年、第一次世界大戦が勃発し、ジャン・ジオノはそれからの5年間は戦場ですごすことになります。

当然、ブフィエのことも、彼が植えた木のことも考える余裕などなくなってしまいました。

そして、戦争から戻ったジャン・ジオノは、無性に新鮮な空気が吸いたくなり、かつての荒れはてた地に向かいました。

そこで彼が目にしたのは、ブフィエが植えた1万本のカシワの木の素晴らしく成長した姿でした。

1910年にブフィエが植えたカシワの木は10歳となり、ジャン・ジオノの背丈を超える大きさになっていたのです。

幸いにもまだ生存していたブフィエは、カバの木立も、そして小川のせせらぎさえも創り出していました。

ブフィエの計画は常に成功したわけではなく、1年がかりで植えたカエデが全滅するなど悲劇に見舞われることもありましたが、ブフィエは挫けることなく、ひとりで木を植え続けたのです。

驚愕したジオノは、ブフィエの苦労を推し量ってこんなことを思うのです。

「 ああ、神の苦しみは神のみぞ知る。ときに、むなしさを感じたこともあったことを、わたしは知らなかった。どんな大成功のかげにも逆境に打ち勝つ苦労があり、どんなに激しい情熱を傾けようと、勝利を確実にするためには、ときに、絶望とたたかわなくてはならぬことを。」

木々の復活はあまりにゆっくりとした変化だったため、周囲の人間はブフィエの活動に気付かず、ときどき訪れる猟師などは森の再生を「自然の悪戯」などと考えていました。

また、森林保護官が「自然に復活した森」に驚き、そこに住むブフィエに「森を破壊しないように」と厳命するなどの珍事まで起こります。

しかし、そういったことも関係なく、ブフィエは木を植え続けたのです。

やがて第二次世界大戦が終わり、1945年にジャン・ジオノがブフィエに会った時、彼は87歳になっていました。

周囲の村の様子は、かつての荒廃していた状況とは一変して、甘い香りのそよ風がやわらかく包んでいました。

森が再生したことで、かつての廃墟にも水が戻り、新たな若い入植者も現れ、生活するようになりました。

彼らはブフィエの存在も、ひとりの男が森を再生したことも知りません。

そして、ブフィエは1947年にバノンの養老院で安らかに息を引き取りました。

・・・という内容のお話です。

「どんな大成功のかげにも~」という部分が特に印象的です。

たとえ、誰にも理解してもらえなかったとしても、自分の為すべきことをする。

自分の意志を実現していくためには、ときに孤独や絶望との戦いを乗り越えていくことが大切なのだということを教えてくれます。

なんだか勇気づけられませんか?

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