「受難」を「情熱」に変えて

英語のpassionには「受難」という意味と「情熱」という意味があります。

受難は受動的なのに対して、情熱は能動的です。

2つの方向性を持った言葉が1つの単語の中にある事は大変興味深いです。

人生は時々、困難な状況が突然襲いかかってきます。

受け入れ難いことを受け入れなければならないこともあります。

でも、受難を自分に与えられた使命と感じて、情熱によって乗り越えていく姿勢が大切なのだと思います。

歴史をたどると、受難を情熱によって乗り越え、偉業を達成したという事例は数多く存在します。

たとえば、今の東京があるのは、豊臣秀吉が徳川家康に下した陰湿な命令を受け止め、受難を情熱によって乗り越えていったことによるものです。

家康は小田原攻めに参加した後、秀吉から領地替えを命じられます。

「家康が長年治めてきた、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃を没収し、北条氏が治めてきた関八州(現在の東京を中心とする地域)を与える」というのです。

東京を与えられた、と聞くと天下を統一したような感覚になりますが、当時はそうではありませんでした。

むしろその反対で、当時の東京は荒れ果てた沼地ばかりの寒村でした。

これは秀吉からの陰湿な嫌がらせでした。

秀吉にしてみれば、家康の力が邪魔であり、家康が、今まで手塩にかけて治めてきた領地に居座られるよりも、北条氏の息がかかった領地に移させ、統治に時間と苦労を費やしてくれた方が都合が良かったのです。

当時の家康と秀吉の力は歴然。

受け入れるしかありませんでした。

家康を迎えた関東の領民たちの態度は冷たいものでした。

江戸城は廃城に近いボロ城であり、領民も旧主の北条氏の善政を偲んでいました。

家康は江戸を開拓することに情熱を注ぎ、山を切り崩して海を埋め立て、沼地を干拓し、水道をひき、宅地を整備して、城を築いていきました。

たとえば埋め立てなどは、300万人もの人夫を動員する巨大プロジェクトでした。

家康は、領民たちが豊かな生活が送れる環境を整えながら、少しずつ領民との信頼関係を構築していきました。

その結果、何もなかった江戸は見違えるように生まれ変わり、やがて秀吉が亡くなると、家康は江戸を基盤に天下を統一します。

秀吉からの受難を、情熱によって乗り越えることで偉業を達成していったのです。

家康の江戸建設の情熱は、歴代将軍たちに引き継がれ、江戸幕府成立から100年後、東京はその当時、世界最大の都市と言われたロンドンを越える都市にまで成長します。

そして、今現在は1400万人の人々が住む巨大都市圏となっています。

もし家康が秀吉の命令を断っていたら、後の家康による天下統一はなかったでしょうし、東京がここまでの大都市になることもなかったかもしれません。

「受難」は乗り越えるためにこそある。

今ある様々な困難な状況を情熱によって乗り越えていきましょう。

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