ヘレン・ケラーは目が見えない、耳が聞こえない、話すことができない、という三重苦を乗り越えた人です。
自伝「奇跡の人」の中で、学ぶことに目覚めるシーンは、学ぶことの意味について考えさせてくれます。
“…(サリバン)先生はm‐u‐gは「マグカップ」であり、w‐a‐t‐e‐rは「水」を指すということを理解させたかったがうまくいかない。
私はどうしてもこの二つの単語の区別がつかなかった。
先生はあきらめて、このことから離れるようにしたが、それでもすぐに、同じ問題を持ち出してくる。
同じことの繰り返しにがまんできなくなった私は、人形をつかみ、床の上に思いきり投げつけた。
人形が砕け散り、破片が足元に散らばったのがわかると、喜びが込み上げてきた。
この激しい怒りのあとには、悲しみも後悔も湧いてこなかった。
人形を愛していなかったからだ。
私が住む音と光のない世界には、悲しみや後悔などという胸をつく思いも愛情もなかったのである。
サリバン先生がほうきをもって、暖炉の片側へ人形のかけらを掃き集めているのがわかると、不快のもとが消えてせいせいし、うれしくなった。
先生が帽子を持ってきた。
外で暖かい日差しを浴びよう、というのだ。そう考えると--ことばのない感情を「考え」と呼べるのなら--うれしくて小躍りした。
先生と私は、井戸を覆うスイカズラの香りに誘われ、その方向へ小道を歩いて行った。
誰かが井戸水を汲んでいた。
先生は、私の片手をとり水の噴出口の下に置いた。
冷たい水がほとばしり、手に流れ落ちる。
その間に、先生は私のもう片方の手に、最初はゆっくりと、それから素早くw‐a‐t‐e‐rと綴りを書いた。
私はじっと立ちつくし、その指の動きに全神経を傾けていた。
すると突然、まるで忘れていたことをぼんやりと思い出したかのような感覚に襲われた
--感激に打ち震えながら、頭の中が徐々にはっきりしていく。
ことばの神秘の扉が開かれたのである。
この時はじめて、w‐a‐t‐e‐rが、私の手の上に流れ落ちる、このすてきな冷たいもののことだとわかったのだ。
この「生きていることば」のおかげで、私の魂は目覚め、光と希望と喜びを手にし、とうとう牢獄から解放されたのだ!
もちろん障壁はまだ残っていたが、その壁もやがて取り払われることになるのだ。
井戸を離れた私は、学びたくてたまらなかった。
すべてのものには名前があった。
そして名前をひとつ知るたびに、新たな考えが浮かんでくる。
家へ戻る途中、手で触れたものすべてが、いのちをもって震えているように思えた。
今までとは違う、新鮮な目でものを見るようになったからだ。
家の中へはいるとすぐに思い出したのは、壊した人形のことだった。
手探りで暖炉のところまでたどり着き、破片を拾い上げる。
もとに戻そうとしたが、もうもとには戻らない。
目は涙でいっぱいになった。
何とひどいことをしたのかがわかったのだ。
この時、私は生まれてはじめて後悔と悲しみを覚えたのだった。”
『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(新潮文庫)
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