全員が先生になること

1854年、吉田松陰は黒船に乗り込んで、ペリーに直談判し、海外渡航をしようとするのですが、失敗し獄中に入ります。

投獄されていた間、松陰は囚人たちと勉強会を開きました。

この勉強会が大盛況で、囚人たちは勉強の楽しさに目覚めていきました。

当然、囚人たちはもともと勉強好きではありませんでしたし、囚人だけあって癖のある人間の集まりのはずでした。

いったいどうやって松陰は囚人たちを変えたのでしょうか。

そもそも松陰は、もともと、長州藩の下級武士の家に生まれ、幼少の頃から学問に励んできました。

ずば抜けて優秀な成績で、9歳で藩校・明倫館の兵学師範に就任し、11歳になると藩主相手に講義をする立場になったといいます。

松陰がはじめに投獄されたのは、江戸・伝馬町の牢獄でした。

西洋文明を学ぼうと、伊豆下田沖に停泊するペリー艦隊のポーハタン号へ密航を試みて失敗し、幕府から要注意人物と見なされたからです。

移送された野山獄で、松陰がとんでもない秀才だということは他の囚人たちに一瞬で伝わりました。

しかし、彼は威張るわけでもなく、すぐに彼らと親しくなりました。

その理由は、松陰が囚人たちすべてに尊厳を与えたからです。

人間として価値があることを認め、それを繰り返し説き続けたのです。

そして、松陰は獄中を教育の場としてしまいました。

囚人たちの得意分野を一つずつ見つけて、各自に先生をやらせたのです。

もちろん松陰も、誰かが先生をやっている間は生徒に徹しました。

全員が何かの先生であり、全員が生徒にもなりました。

ちなみに松陰は、四書五経を囚人たちに教えました。

代わりに松陰は、生徒として俳諧、書道などを教えてもらいました。

囚人に限らず、牢番や役人たちまで参加していたと言われています。

どんな環境であったとしても、ともに学び合う関係があれば勉強を楽しむことができる。

そして一緒に勉強を楽しむことが、勉強の本質である。

松陰が優れた教育者であったことを示すエピソードです。

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