個人の力の限界

私たちが勉強する教科書に載っていること。

それを一言でいえば、先祖たちが何千年もかけて脈々と築いてきた「知の総体」です。

何を学ぶのかというと、煎じ詰めれば結局、「先祖たちが今まで、何を考えてきたか」ということになります。

それはとても人間一人の力ではたどりつけないほど、大きいものです。

そう考えると、勉強するというのは、まさに人類の知を受け継ぐことなわけです。

こんな逸話があります。

ある海外から来た人が、中国の山奥の辺境の地で、抜群の数学センスをもつ少年に出会いました。

まぎれもなく天才でした。

将来すごい学者になるだろうと予言しました。

ところが30年後、その人が、ふたたびその地を訪ねたとき、老人の風貌になった天才少年が「ものすごいことを考えついた」と言って教えてくれたのは、2次方程式の「解の公式」でした。

一人でそこまでたどりつくのは実際すごいことで、その瞬間のひらめきはすさまじいものだったことでしょう。

でもその程度が個人の力の限界です。

もし彼が数学を体系的に学ぶ機会に恵まれていれば、5歳ぐらいのときに教科書で勉強してそれで終わっている話です。

人類の「知の総体」を足場にすれば、より高いところをめざせたはずです。

ほかにも、歴史を学べば、過去から現在まで人間がどう生きてきたか、どんな失敗をしてきたか、ということを知ることができます。

歴史の教訓が憲法をはじめとした法体系に継承されることによって、権力の暴走が防がれ、私たちの権利が守られているのです。

理科を学べば、自然の法則がより洗練された形でわかります。

この法則を利用することによって私たちの生活はより快適に進化してきました。

先祖たちの残した「知の総体」に触れることで、それを足場にさらに上をめざすことができるのです。

私たちは自分だけで生きているような気がしていますが、先祖たちとのつながりの中に存在しています。

人類が長い時間かけて形成してきた知的文化遺産を継承することが、勉強をする意義なのだと思います。

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